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21歳。大学に受かり、明るい明日を目指すも根本的根暗。 そいつがひねり出す言葉のそれぞれ。自分の過去ログ的な。

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 夜中。往々にして人は孤独にさいなまれる。
「あたためますかぁ?」
「あ、そのままでおねがいします」
「782円になります」
「1000円でお願いします」
「りざしたー。またおしゃせー」

ホントは温めて欲しいんですよ。冷やし中華でも、冷やしつけ麺でも温めて欲しいんですよ。

さて、寮生活が始まり、なんだかんだ早くも一週間ほどたったのですかね。
地震の影響でGWのあいだにちょくちょく行事があるという感じで、なんだか空回り。
そして周りは帰省して、ユニット内は相当なもぬけの殻具合。
僕はと言えば広大なネットの海にダイブしてひたすら耳をふさぐ作業ですよ。
いや、そこまで孤独じゃないんですが、孤独です。

ないものねだり。周りがもっているものが目に見えると、
その空間にいる個人も同等な立ち位置を求める。

誰かが関係性を持っているなら、深い浅い関係なくそれを欲する。
しかし、彼は言う。「僕は広く浅くで。声はかけられるんだけど、それじゃいけないと思ってるんです」
なるほど。僕も深い仲のほうが確かに好きだ。しかしながらDAIGAKUSEI
孤独には圧縮されて、深海に放り込んだカップラーメンの箱みたいにぺしゃんこになるのです。
汝何を求める。「関係性を」汝どこに求める。「我が交友関係に」汝なぜ求める。「我が安寧のために」

でもね、そんなんじゃ多分だめなんだ。先日読んだ河合隼雄さんの本から学んだことは、
今の人達は即物的で、友達もすぐできると思っている。ですから、大学生になったばかりの人は、
今の僕のように「友達ってどうやってできるんですか。友だちができないんですが」
と、河合氏にカウンセリングを求めた。

友達の定義を決めよう。これは前のエントリでやった気がします。
つまり、友達って、簡単にはできないってことですよね。
彼は本の中で、「大変なことがあったんだが黙って付いてきてくれ。といって付いてきてくれる人が友達」
というような文に首肯しておりました。

つまり、そこまで深い関係性をもってやっと友達と言えるのではないかと。

しかし、今夜僕が何を語っても友達が欲しい、三浪でコミュ力が壊滅的な人間の
夜の愚痴にしかならないわけで。
かかないと自分の中で整理がつかないので書かせてもらいます。書かないと心がディスククリーンアップされそうなので。

他人に見てもらってこそのブログですが、やはり自分が中心にあっていいと考えたい。
だから今日はすいませんが、駄文にお付き合いいただきたいです。

さてさて、当方洗濯というものを恥ずかしながら人生で初めてしました。
寮にある洗濯機は一回100円、柔軟剤入れはなく、残り時間が9~7分になったときにいれるというもの。
結論から言いましょう。タイミングを逸しました。カップラーメン食べて、食べ終わったらちょうどいいだろう。
「残り時間3分」ダウニーを下にー!というテンションでした。
しかしながらですね、僕はここで現代科学の恐ろしさを味わうのです。
洗剤:アタック。彼はすごかった。イレイザーだった。柔軟剤入れなくても結構普通になるじゃーん。
と思えるほどに彼の仕事は見事だった。じゃぁ柔軟剤って・・・
これは僕の中で次回のお楽しみなのです。彼女は一体どんな仕事をするのかは僕にとって未知。
こんなささいな事でも、新しいことを経験するということは、小さな冒険性をはらんでいるということです。

体調をくずしておりまして、先日の夜中の3時に、人生最大の惨事によって起床させられました。
人生の汚点です。ですが、東京に帰った際にはきっと笑い話に昇華させてみせましょう。
今日の昼頃から回復の兆しを見せてきまして。だからきっと昨日よりは思考がましなはずです。

さぁ、ずいぶんふつうのコトを書きましたね。というか中身がない。
空気。ゴムボールの中の空気並みにヘニャヘニャですね。窒素ばっかりなガッカリ感。
窒素固定菌でも持ってないとなんのうれしさもないですね。
パプアニューギニアのほうでは、体内に窒素固定菌を飼っていて、空気を吸うだけで
アミノ酸が生成されて、筋肉モリモリマッチョマンの変態な部族がいるみたいです。
僕にも飼わせてください。さんざん排泄したのに体重は全く減ってなかったんです。
だから飼わせてください。

こうでもしないと、僕の連日の孤独を埋め合わせることができないように感じたのです。

サークルとかに入ってうまくのっていけたらなぁ。とにかくイベントがそれほどはじまってないので、
日々こうやって悶々としながら、声をかけたい・・・しかし僕は根暗かつネガティブかつ人見知りかつthe end
なわけですから、僕の脳内やら心やらはひたすらにカオス模様の予定です。
飯、いいっすか?のヒトコトもでないんだぁね。

新天地で私は頑張っております。孤立無援。孤軍奮闘。
ですが、いずれ誰かを四面楚歌にできるくらいにはしたいですね(自分が囲まれないことを祈る)
そうしたら、中学時代の親友の親戚がこちらに住んでいらっしゃって、
焼肉でもおごろうかとおっしゃってくれてるらしい。しかしね、僕はこっちの駅二つしか知らないんだよ?
そこも教えてもらうってかな。考えておこう。


追伸 情けがない。というか、弱い心が。が、これが人間。これが僕。正当化するわけではないし、 
打開したいと考えるが、この弱さを受け入れる自分も必要だと思う。受け入れてからですよね。

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 おひさしぶりです。しばらくぶりです。
25日、僕は進学先の大学の寮へ向かうべく、池袋から深夜バスに乗り込んだ。
中は三列の座席が羅列され、人が通る間が均等に空いていた。
窓際に座り、窓も、運転席のフロントガラスも見えないように遮光カーテンが存在していることに気づく。
地獄だ。僕はねることもなく外を眺めることもできずにこのままはるばる六時間近くも
このバスに揺られていないといけないのかと思った。
飲み物も忘れ、車内に設置されているトイレもなんだか遠慮したかった。
そんな僕の心を読んでかしらないが、トイレ休憩なるものは当然のようになかった。
運転手の休憩のため、一時間半に一回ほどの停車で、僕の喉は枯れ果て、
僕の膀胱は肥大していった。

ついた駅は地方都市。なんといっても駅がでかいのが特徴だ。
道も路線もわからない僕はタクシーを拾い、寮まで向かう。あいにくの雨の中、その駅を写真でとった。
運転手は寮の場所を知らなかった。僕も当然知らなかった。iphoneを取り出しグーグルで検索し、
紆余曲折ののちたどり着くことができた。これは後で統計的に思うことだが、ここの運転手たちは
よくしゃべる。とても良くしゃべる。嫌ではないが、静かにして欲しい時もあるのだ。

寮内では各ユニットに10人ずつ割り振られ、五階のうちそれぞれに4ユニットで分かれているという
構造だ。

昨日か一昨日は、ユニットのみなさまと酒を飲んだ。
他のユニットの人達も混ざり、僕は結局4時まで起きていた。
昼間で寝込んだ。

疲れている。現在はといえば、インフルエンザか何かではないかと思われる症状に苛まされている。
眼球の奥は鈍く疼き、胃腸は何も吸収しないかのように痛み、口腔摂取したものは間を開けず排出される
という、極めてハイクオリティな凄惨たる痛めつけを僕に対して行っている。

ブログの文面で伝わるかはわからないが、おそらく僕は神経質だ。
おそらくというのは、昔は自覚があったが、今はわからないということだ。けれども、きっと神経質だ。
ユニットの方々とは割とうまくやれている気がする。しかし、入学式隣である人にすら
僕は話しかけられない。典型的な人見知りなのだ。ネガティブさの混ざった複雑なやつだ。
この人に話しかけたら僕はどんな印象を持たれるだろう。定型文での会話はしたくない。
叩かれば多少面白くできるという自信はある。しかしたたかれなかったとき、会話が頓挫してしまったら
僕はどう思われるのだろう。だのに女の子の前では格好をつける。自分の体が醜いというのにも関わらずだ。
なにもかも矛盾している自分の脳味噌は、それでも肯定的と否定的な意見を繰り出し、衝突させ、
結局のところ結論を出さないで帰結するのだ。

現在ゴールデンウィーク前半の二日目だ。2日にイベントがあり、その後の三日はまた休みだ。
僕は同じユニット内にいる活発だったり、理想的な爽やかな青年のように
人に話しかけられない。今のところ。特に女の子に話しかけるなんてもっての外だ。

ユニット内でみんなで酒を飲んでいるとき、僕は「人見知りには見えないなぁ」と
いわれた。他人のもつ僕へのイメージ(といってもあって少ししか経っていないのだから本質が見えなくて
当然)と、自分自身が考えるイメージというのはぜんぜん違う。

自分のことは醜いと思っていると同時に、鏡を気にする、ある意味で言えばきっとナルシストなのだろう。
気にして。気にして。しかしながら改善はしない。

部活をどうするか。重い荷物と一緒にエレキギターを背負ってきた。
これは僕がギターが本当にすきだから。弾いてないとちょっと嫌だから。気持ち悪いから。ギターが好きだから。
軽音楽部なんてとっても理想だ。楽器の好きな人と集まって一緒に音を出す気持よさを僕は知っている。

ところが、医者というのは体力勝負。そしてこれは建前で、僕はダイエット目的だったり、
それに付随して、自分の心が変わるのではないかという希望、健全な精神は健全な肉体に宿る
という考えを持っているので、運動部に入ろうかと思っている。
ここは正直わからない。しかし、きっと運動部に入るのだろう。それもわからない。

さて、ここからはずっと書きたかったことを書こう。(なのにいまの今まで忘れていた。)
それは、家族の大切さというものだ。おそらくこれを書いたあと、読者が僕へ抱く印象は、
”マザコン”とか”ファミコン”(マリオはできませんよ。)とかなのではないかと思う。それでも書く。

出発する前、僕は夕飯を自宅で食べた。夕飯前にはバイト前に時間を探して帰宅してくれた妹が、
携帯を片手に僕の目の前に現れ、僕をとり、2ショットまで取っていった。
贈る荷物を指さして「私が入っていってあげようか?」とかなり男勝りでかなりヤンキーっぽい妹がそういった。
僕はその後茶化してしまったが、そう言うのがとっても嬉しい。ヤンキーっぽくても、妹は優しいのだ。

弟は今年中学生にあがり、僕の部屋は彼に受渡した。彼は割と僕を慕っていてくれて、
まぁ僕は彼の宿題などを教えたり、宇宙のことについて話したり、男の子の会話をしていたわけだ。
やはり離れるのは寂しい。僕が本格的に東京に帰るとき彼は大学生くらいなのだろうか。

父とはやっぱり男の子の会話だ。でもやっぱり尊敬というか、
彼に持ってないものを僕は持っているが、男としてみたとき、彼のほうが男らしいと僕は感じるのだ。
彼のように男らしかったり、多少強引ならば、今頃付き合った人はかなりのものだろうと、
彼の過去の話を聞いたり、自分の足りないものと比較したときよく思うものである。

そして母だ。great motherなんていいますが、偉大です。体を痛めて僕を産んでくれた。
浪人時代叱らず僕に飯を作ってくれた。特に三浪目なんてありがたかった。
毎日毎日ご飯を作ってくれることがこんなに有難いものだと思うのは多分あれが初めてだろう。
母は入学式の一日前に都市のホテルに泊まった。そこで僕と買い物をし、夕飯を一緒に食べた。
入学式のあとは昼飯を一緒に食べた。そして帰った。僕は彼女と別れるとき、いつも心が張り裂けそうで
なんだか泣きたくなる。切なくなる。

なんだかんだ言って僕は愛されている。平気なふりしても結構な頻度で連絡をくれる母が僕は愛おしい。
だってこれを書いている僕はなぜだか涙がこぼれているから。
絶対にマザコンだと思われているだろうなw
けれども、それは事実だろう。僕はまだ大人ではない。おもいっきり子供だ。
自分のケツは自分で拭けない。21にもなったのに。21年間の密度は、おそらく薄い。
それは僕の引っ込み思案がそうさせたのかはわからない。しかし、その過去は変わらない。
だから僕はここから大人にならなくちゃいけない。帰ってきたとき大きくなったと思わせなければいけない。
父親が死んだ時兄弟の世話をしなければいけない。僕は長男だから。僕が大人にならなきゃいけない。

妹は海外に行ったのに、全然泣かなかったろうな。僕は東京から数時間、帰ろうと思えば帰れるのに
今こうやって感傷にひたっている。なんて情けない。なんて脆い。なんて弱い。
ホームシックにしては早過ぎるっていうの。まったくねぇ。嫌になっちゃいますよ。

きっとこういうふうに精神とか体の調子がおかしいのは、まだここに慣れていないから。
まだここに心がないから。でも僕はここにいる。体も心もここにある。
適応するんだ哺乳類。

ふぅ。なんだか心がすっきりした。文字を書いてて涙をながすというのを初めて味わった。
文章は心を動かすね。ブログは自分の感情が乗るね。おすすめだわ。

さてさて、今回はここらへんで閉じさせていただきますか。
ゴールデンウィークが暇で暇で仕方ないのですが、僕の体はガチで内部系がやられているので、
休養します。リア充め・・・女と遊んでんだろうなぁ・・・嫉妬(shit)

ではでは、みなさまも、家族とは何かとたまには考えてみてください。
当たり前なことは、当たり前じゃないんですよ。そこにあるのがすごいことなんです。



追伸 ここのネット環境がヤバい。4時間に制限されている。
そして、PCがヤバい。skypeでテレビ会話すると切断される。やばいよぉ・・・
カメラを家に帰って持って来るべきか。しかしながら、家に行っても
誰かと遊ぶわけでも、どこに行くでもない。母の作った旨い飯と、愛らしい犬とたわむれるだけなんだ。
こういうとこで交友関係って出るのかな。

追伸2  同級生にも見られる可能性があることを忘れて書いてしまった。  
今更になってとっても恥ずかしい・・・なさけねぇ・・・くあああああああ。でもこれが今の俺。
ヘタレすぎるw

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こんばんは。なんだか思い切り久しぶりな気が。前回のブログもこういう始まりをした記憶が。
皆様大学生活が始まって街は春になり、桜は花をちらし、道路にはその残滓。
詩人か!いえ、ただの愚者です。山崎12年をちょっと飲んだら汗がブワってでながら書いてます。

※まどかマギカネタバレ有り
昨日というか今日の夜中にまどかマギカの3話連続放送がありましたね。
僕はオンタイムでは見てないのですが、11話、12話を拝見いたしました。
なんだか10話以降自分が思っている以上に久々で、OPでなんだか久々だなぁって感慨深かったものです。
11話を見た直後、マトリックスのエンドと同じなんじゃ、と予測したのですが、
受け入れるという点ではあっていたのかも。なんだかんだうまくまとまって、
虚淵氏の言うハッピーエンドになったのではないかと。僕としては、誰かが”死”という犠牲を払って、
その上に助かるのかななんて思っていたのですが、それより格段に幸せなハッピーエンドでしたね。
良いアニメでした。楽しめました。

しかしです。僕として今季(まぁまどかは前期かもしれないが)「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」
をパワープッシュします。ぜひとも見てください好きな人はがっちり掴まれる。true tearsとか好きなら絶対見ろ

あと、カイジも、Cってアニメも面白いです。ぜひ。

※ネタバレ的なsomethingは終わり。

さてさて、話を変えましょう。最近はずっと本ばっか読んでいました。
おかげでなんだか腰のあたりがうはうはいっとります。
「1Q84」の三巻目だったり、「ノルウェイの森」だったり、あとは河合隼雄さんの本を読みました。

なんだかんだ村上春樹の本は面白いなぁって思ったのです。
賛否両論ある人かもしれませんし、僕自身も、彼の描く性描写の記号的意味をあまり理解できないでいる。
それでもやっぱスパーっと読めて、読後感は割といい。
「ノルウェイの森」にいたっては、今まで見た村上さんの作品で1,2を争う面白さだったかもしれません。
争ってるのは「ねじまき鳥クロニクル」これも面白い。
あとに読んだ「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」という対談形式の本で、
「ノルウェイの森」は死とセックスの話だ、なんて著者自身が書いていました。たしかにそうなんですが、
作中の登場人物の年齢が僕自身と割と近いこともあり、共感部分が多いというか、
あの時の心の葛藤とか、そう言うのが村上春樹が描いてて、楽しかった。
誰しもそうですけど、作家というのは、その人らしさがでるから面白いですよね。
「この人の書いた文かなぁ」って思える。でも作家の手を離れた瞬間それは一人歩きを始めるみたいです。


またまた話は変わりまして、本についているアンケート用紙に「SNSの面白さ」
とかいうメモを下手な字で書いてありまして。ですからちょっとこれについても書きたいなと。

おそらくこれを考えたのは、河合隼雄さんの本を読んでいて、”友人”とか”付き合い”について考えたから
だと思います。それと、タイミングよく高校時代の卒業アルバムをみたのも影響するかと思います。

このブログを見てくれてる方にはおわかりかと思いますが、僕は3年間浪人をしまして。
故に、普通に大学生を行っていた方に比べ交友関係が限りなく過去を主軸に構成されています。
それは現在にももちろん存在しているのですが、過去という場を介在にして成り立っている。
僕の生きている時間軸で、現在という場を介在にして成り立たせている友人はいなくて。
そもそも友人なんというのはできた瞬間、過去を軸にできていって、それから
今と繋がっているのかもしれませんが、ともかく、今現在、簡単にいえば新しい友だちみたいなものがいない。
それは結構悲しいことであり、同時に友達のありがたさを感じられる原因でもあり。

それでですね、皆様いったい誰を”友達”と呼んでいますかね?
僕は”知り合い”も友達にはいるのかなぁとか、でもそれって知り合いじゃね?とか思ってて。
でも、やっぱり友達は友達でしかなくて、知り合いと一線を隠しているのではないかと感じたのです。

そもそも、僕らが小学校中学校、いわゆる幼なじみなんていわれている友達というのは、
その時はかなり心が敏感で、こころと心をぶつけて会話していた。
それはただ単に、スムーズに進行させる術をしらないだけだったりするのですが、
とにかく、激しいぶつかり合いだった。
だからこそ、繋がりが深かったのかもしれないなと。過去を共有しているから、
久々にあっても過去を話題に話すことはできるというのはありますが、それでも仲がいいんじゃないかなと。
高校生にもなると、中学生の時と比べて心は多少落ち着いて、脳が発達して、
何をどうすれば相手に意思を伝えられるかという術を身につけてくる。そして心を激しく動かすことが
割と疲れてくる。疲れるから心を守るために手段が発達したとも言える。
そういうと、中学より繋がりうすいじゃん!ってなるけど、そうでもない。関係性がドライになるというのは
認めざるをえないかもしれませんが。
けれども、過去を共有しているというアドバンテージがあるから、集まればずっと笑っていられる。
まぁ面白い。

ですが、こうやって人生のステージが上がるたびに、人は大人になり、心を動かすことを嫌い、
自分が一番可愛くなり、心が疲れる事のないように口先や脳を鍛えて、円滑に事を運び出す。
そう考えると、友人関係って、どんどん希薄になるのではないかと考えたのですよ。
中学生が言う「おめぇ本気になれよ!」っていう熱さがない。だんだん熱が冷めてくる。
それは全然悪いことでないし、仕方のないことであり、最適化でもある。
でもやっぱ関係性が希薄になるってのは悲しい。誰かが言う”半透明関係”です。

で、そういう事を踏まえた上で、あなたは友達がいますか?
友達って難しいんですね。僕は僕自身が友達だなぁって思ってる人が何人かいます。
定義を緩めればもう少しいます。それ以上緩めると”知り合い”になる。

さて、話が戻ってきました。そこで考えるSNSの面白さとは。
これはリアルで付き合える人数以上の人間と”半透明な”関係を結べることにあると思ったのです。
友達100人出来るかな!できねぇっす。普通できねぇっす。
でも、関係性の定義を緩めるならできる。SNSを使えば”半透明な”友達はそこそこ増えるのだと思いました。
しかしながら、半透明なんですねぇ。これが逆に悲しさや寂しさを増幅させるスイッチになっているとも
考えられるわけで。

いかんせんまとまってませんが、こう言うことをぐだーって考えちゃったわけです。

僕はきっといろいろな部分を見せやすい性格がある。隠したほうが都合よく行くことでも
さらけ出して、その上で僕を飲み込んでくれというスタンスでいる。これはひょっとしたら賢くない。
むしろバカ。でも、うまくそういうバランスを取れないんですよ。

恋愛でゲームをする人見れば、心が砕けるまでぶつかる人もいる。そういう違いです。
些細ですが大きい。

言葉を優しく。心は柔軟に。誰かの言葉によって心がざわめきふらつく。
心を荒立てることなく。心を優しく。言葉は柔軟に。
自分の心が誰彼の心を飲み込んだり包み込んだりするのはおよそ不可能。相手も人間である。
独占欲は尽きることはないが、それは高嶺の花。霊峰の花。手が届かない。
独占することは出来ない。それならある程度で一種の諦めを自分の中で飲み込めば、自分と相手の
関係性がより強くなる。より近づく。より前を向ける。
包まなくていい。手をつなぎ合ってればおそらく大丈夫。離さなければおそらく大丈夫。

ということで、お聴きください”you were there”

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 なんだかお久しぶりの気分です。日にち的にはそうでもないのですが、
それでもなんだか久々にブログを書いている気分な僕ですこんばんは。みなさま元気でしょうか。

今日は一昨日くらいから予定していたとおり、高校時代の友人と映画見たり色々してきました。
この方とはしばらくな付き合いで、結構サシで遊んでるので、気楽でいいのです。

目的は映画『ガリバー旅行記』です。久々、むしろ初めてかもしれません、3Dメガネをかけての映画。
USJで使ったことはあっても、それをかけたまま映画をみるという体験はなかったのです。
目は確かに疲れましたが、たしかに、奥行きがすごい。大泉洋「奥行きが邪魔だなぁ」
内容自体も、結構楽しめました。変にややこしいのではなく、小学生にも理解できて笑えるような、
明瞭な映画でした。ジャック・ブラックが高校時代の現国の先生にソックリで、割と面白かった。
ただ、これは字幕の宿命ですが、英語の中のギャグと、字幕のギャグってかなりずれてて、
字幕のギャグは往々にして極寒へと誘うようなキレなのです。はい。

それと、メガネを買いに行きました。ひとつ在れば十分じゃないか!って思う方もおられるかもしれませんが、
やはりメガネもファッションの一部で、尚且つ靴のようにローテーションしたいものなのです。
ですから、まずは手始めに、最近のメガネを買ったjinzへ足を伸ばしました。
エヴァとのコラボ企画なんてやってるみたいで。ほしいメガネを発見したら、
「それサングラス用のなんで度が入りません。」と店員は言いまして。速攻でzoffへ。
もともと求めていたのが、縁の幅がでかいメガネで。Zoffにはあるんですねぇ。
ただ、レンズがでかいからか、値段も高い。9400円くらいでしたかね。思い切り奮発して買いました。
でも届くの一週間前後ってーーー。僕が東京にいるか否かギリギリな日程ではありますが、
やはり身の回りのものを新しくするのは気分がイイものです。

友達のメッセンジャーバッグをみにロフトやら、ハンズやら行って。ロフトとかすごい久しぶりに行きました。
相変わらずあそこは行くだけでもわくわくしますね。
ところで、僕の今持っているショルダーバッグは、デザインは結構良かった気がするのですが、
いかんせん安物で耐久度が無い。付け根がボロボロです。服ほど気にはならないのですが、
なんだか、「おおーこの人おしゃれだなぁ。ん?でも靴が瞬足やん!!」みたいなガッカリ感を
与えかねません。それが若干の怖いところ。性急に新商品を調達したいところ。

そんでまぁしばらく歩いて、飯ですよ。うまかった。居酒屋なんですが、うまかった。
完全個室で、かなりいい感じ。左隣の部屋では男女四人が盛り上がってましたが、
その隣では完全なる男のさしのみ。それがまたいいんですが。
食いましてねぇ。たらふく食いまして、居酒屋に行って初めてこれだけの金額を費やしたぜ・・・
というくらいの食いっぷり。腹がへった男ふたりが居酒屋はいるとこんなモノなのかもしれません。
カイジ・・・豪遊ッ・・・!そして・・・猛省ッ・・・!な感じでしたが、僕としては非常に満足できました。

気楽でいられる友達というのは必要です。真剣に語り合える友達というのも大切です。
ルーズじゃいけないな、びしっと気合入れて会いたいなって人の存在も、きっと
人生にメリハリを与えてくれます。人には色々な種類があって一概にカテゴライズは出来ません。
ですが、その多種多様な人達と自分をコネクトしたとき、その人が自分にとってどんなポジションに
存在するのか。そして、その人とどうやって関わっていくのか。どうやってかかわりが変化していくのか。
孤独であったゆえに、今はこういう繋がりがとても楽しく、幸せに思います。

素敵な出会いだけでなく、素敵な付き合いってのも大事だと思うのでした。

追伸 日曜の都会はカップルの巣窟です。気を抜くとカップルの暑さにシャツが蒸発しそうになります。
そんなカップルの女性だけをみるのが割と好きなのですが、
やはり、かわいいなと思える人がかなりいます。(カップル抜きにしても。)
それはストライクゾーンが広いということで、僕のこれからのサクセスストーリーは始まったばかりだ!

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 こんばんは。最近は外出もしないであっついあっつい屋根裏にこもって昼に起きて
本ばっか読んでる僕ですどうも。
屋根裏部屋の暑さは異常。遮光カーテンとかなんのその。熱は突き抜けてこっちに来るわけで。

さてさて、本日、『世界を読みとく数学』小島寛之著を読みまして。

この本で数学の本は5冊目とかなんですけど、一番面白い数学の本でありました。
というのも、今まで読んだ本が数学の来歴とかを主軸にしていたのです。
『人物で語る物理』なんてのは、かなり面白く読めたのですが、『数学入門』も面白かったとは言え、
やはり来歴(人物含む)を軸にして語っていた本で、現実には寄ってこない本でした。

そこで先の本を読んで、まぁなんて現実、リアルに足をつけた本なのだろう(かなり数学的で、うわらばとなるとこもあり)と思いました。尚且つ数学のおもそろさを伝えるような。

でもやっぱ数学というのは難しいですね。確率論(逆確率とか)、カオス理論、シュレディンガー方程式
その他もろもろ、名前は聞いたことがあっても、いざ眼前に出されると、おいらもう食えねぇよ・・・
って嘆きたくなるくらい。それでも噛み砕いてくれてるんですよ。他の本より数学的だなと思いましたが、
それでも幾分噛み砕いてくれている。きっとシュレディンガー方程式の説明なんて講義なら二時間以上
係るんじゃないですか?ですが、面白かったわけで。

そんなこんなでbeyond meな本をぐわーっと勢いで読みまして、思考回路はもうZUTABORO.
脇の下にも汗を掻くほどの血流が僕の脳に行き渡ったのです。

しかし、今日は読書感想ではない。インスピレーションは先述のものからバリバリ受けているのですが、
一番最初に書いたエントリーに虚数の話がでてきましたよね?
つって、今日はじめて見てくれた方は一番最初のエントリーをご覧になってください。
今日は虚数に関して、多少見解が変わったので、書いていきたいなぁなんて思いまして。

井の中の蛙大海を知らず状態の僕は、虚数を含める複素数で数の世界は閉じられているんだ。
なんて考えていました。本にもそこまでの説明しか書いていなかった。
高等数学をやっていないペーペーの僕からしたら、そこで終わりなんだと思っても致し方のないことではあると思うのですが、案の定、まだ深みがあった。

解釈としては、もしかしたら、複素数で終わりかもしれませんが、先の本では、また新しいものが、
最後の章にでてくるんです。”イデアル数”ってんがでてくるんですよ。
これはあの有名な”フェルマーの最終定理”という予想を証明するための突破口になるらしいのですが、
この数は、ガウス整数?だとかよりももっと広義的で、汎用性の高いものらしいのです。
解釈の仕方としては、複素数を、便宜的に虚数を創りだしたように、複素数の世界からまた
細分化して、便宜的に、かつきちんと帰結性があるようにこしらえたものらしいです。
まぁそんな世界があるんだなんてのも僕は不思議なんですが、
虚数はそもそも、3次方程式以降のn次方程式の解を出すために便宜的に作られた数です。
imaginary numberの頭文字をとって、iと表されています。
だから僕は、頭の中だけ、数式の中で齟齬がないようにするための数字なんだな。って思ってました。

ところが、本書でわかったのが、虚数が決して文字通りの虚構の数字では収まらなかったということ。
全ての物質は、”波”と”粒子”の性質をもっており、量子学になると、物質の存在は、
かつてあった決定論的なものではなく、確率でしか存在を推測することしかできなくなります。
そのとき、その量子の存在確率を演算するために使われるのが先ほど書きました
シュレディンガー方程式らしいのです。波動方程式とかっていうんですか?
とにかく、シュレディンガーさんは量子の存在を推測できる式を作っちゃった。
そして、その中に含まれているのが”虚数”だというのです。著者は、これをもってして、
虚数が現実世界にも存在していた、というようなことを書いています。

僕個人として、「えっ?式でかけるから現実にも虚数が存在するなんて言えなくない?」
というのと、「でも現実に存在する量子の存在が、虚数を使うことで測れるなら、やっぱり虚数は現実にあるのか。」という考えがアンバランスにシーソーゲームしてます。
ですが、このエントリーを書いている今の心としては、後者をとりたい。
一番最初のエントリーにホーキング博士が「虚数の時間が存在していた」なんていってたのを書いたのですが、僕自身、それは物理の特性上、数学という言語なしには事象は語れなくて、
その数学に虚数というものが含まれているのだから、仕方ないのかな。って思ってました。
というのは、まぁ、僕ら人間は三次元空間しか行き来できないけれど、多次元空間がある!って
数式で表されるなら、僕はもうそれを信じちゃうよ。みたいなノリです。

ですが、シュレディンガーのことで、やっぱり虚数ってのも現実なのかなって。
でも、人間が演繹的に発見したものが現実にそんなに食い込んでいいものなの?なんて思うんです。
もしかしたら数学って、なにかすっごいばかでかい宇宙規模の、いわゆる外国諸国の方々が
神様ってよんでる存在が人間にくれたでっかいパズルなのかなとも思うんですよね。
なんだか宗教臭い話になってきやしましたが。

この話をよんで、フィクションが現実に干渉することもあるんだなぁって。
現実とフィクションが相互で補いあったり、現実における軋轢で「疲れたよパトラッシュ」になった人が、
フィクションという世界に一度たゆたい、たまった疲れとか怒りを流し出すとか、
はたまた、それですっきりしした身体をまた現実で酷使しに頑張るとか、
そういう事は、全然okで、ありえるんだなっていう、とてつもない拡大解釈をしてしまいました。


兎にも角にも、人が創りだしたものが、元々ある土台に影響するってのは面白いですね。
今ある環境も人間が創りだしたフィクションなのかもしれないものね。
『マトリックス』で、モーフィアスってのが、エージェントに捕まるんですよ。
そこで自白剤のまされて、耐えてるシーンで、エージェントスミスは
「哺乳類というのは環境に適応する。しかしながら、人間だけが環境を創り出す。」みたいな事をいうんです。
これはもっともで、ここまで世界を自分の側に適応させる動物って人間以外に僕は見たことがない。
フィクションって、日本語にすると虚構とかって意味になりますよね?
『マトリックス』的な思考になりますけど、じゃぁ現実ってなんだ?
養老孟司さんは「物」というのを「互換で感じることができるもの」と定義していましたが、
じゃぁ「現実」ってなんだって。

僕は随分前から、『マトリックス』って、割かしあり得る世界なんじゃ・・・って思ってたんですが、
今回の本で、ちょっとそれが増したかもしれません。

まとまんねぇなぁおい!でも、これが僕。
それでは今日はこのへんで。

追伸 昨日から胃腸の調子がおかしい。みなさまもお気をつけになって。僕もさっさとなおさんとね。


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◎ プロフィール
HN:
Nagisa
年齢:
34
性別:
男性
誕生日:
1990/02/21
職業:
学生
趣味:
ギター演奏/音楽鑑賞/アニメ鑑賞/いい声、音を聞くこと
自己紹介:
三年間を取り戻すには。もがくしかないでしょう。
inferior complexを改善する段階。
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