お久しぶりです皆様方。あー、facebookとも連動していて、日記を書くことすなわち恥をさらすことに変わりのない今日この頃ですが、いかがおすごしでしょうか。
翌日、とはいっても日付は変わってもう今日にあたる訳ですが、進級の発表をまえに膝を抱えて部屋の隅に座していたい心地であります。頼む、通っててくれ。
以前から付き合いのある方、そうでない方も含め、ここらで近況報告でもしたいなーと思ったので筆を執らせてもらう次第。
テストが終わり、歌を歌うための歌を作ったり、映画(主に邦画)をかなりの頻度で消費していたり、過度なストレスによって煙草の本数が増えたりと、人間味にあふれる生活を送っている昨今であります。
早いもので、もうすぐ一年生が終わろうとしている訳です。 去年から、というか、まー、去年の今頃から私の文章を見ていてくれる人がいたら、あー、この人はかわっていったのかなー。なんて感想を抱くような代わり映えができていたら幸いでありますが、いかんせん、人間の根本というものはそう簡単にはかわらないものなのです。
このブログの前口上にある通り、私は生来たっての根本的根暗なのでありまして、今このときを持ってしても感情の起伏が激しい心を持ち合わせております。
いったい医師になるのにそんなに情緒不安定であなたが心療内科に通った方がよいのではなくて!との感想もそこらへんにいるリッチな奥様方はもつかもしれませんが、私は医者になる手前に、人間であるので、このような情緒不安定性というのもある意味では情緒的なのかなと、ネガティブらしからぬポジティブさを持って思いたいのであります。
さてはてなんで今夜はこんな文章をうっているのでありましょうか。私の尊敬していた人の影響なのか、はたまたいまさっきみた邦画がなんだかもやもやとするものだったからなのか、
そんなことは関係なく煙草を吸った夜があまりにも鉄のように冷ややかな風が吹いていたのが理由なのかは全然わかりませんが、最近、自分の中でなにかが煮詰まっているような、人間性の連鎖の中でほころびが生まれて、そのほころびの修復が案外面倒なものなんじゃないかとか、そもそも、人間関係の連鎖の中で心が荒んできているのではないかとか。
そんなことを言っても、結局人間棺桶to墓場になるまで一人では生きていけません。換言すれば、人間関係というのは人間であることにおいて必要不可欠なのでありまして、それをなくしてしまえば、個人という存在は、路傍の石やら、そこらに生えている枯れ木となんらかわりのないものになってしまいます。それはそれで輝かしいものなのかもしれませんが、人間である以上、心を持つ以上、そんな立ち位置では涙も涸れるというものでしょう。誰かの陰の中に生きていたい人もいれば、日の目を浴びたい人もいる。いっぱいの人種がいていいんです。きっと。
カテゴライズするということが最もばかばかしいもので、すべてを包括して、その上で受け入れていくことがもっともいいんじゃないかって。 その上で人を嫌うならば、いっこうにかまわないものだと思います。
何にもまとまっていませんが、指が勝手に進みます。 けれども、その流れをここらでぱちんときりましょう。
それでは皆様、よい人間関係と、良い生活と、たくさんの不幸と、少しの幸せと、ありきたりな存在の大切さを噛み締めて生きていきましょう。
再見
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